TOKYO HIPSTERS CLUB(トーキョーヒップスターズクラブ)

僕が2008年に新卒として入社したショップ。

”TOKYO HIPSTERS CLUB”(トーキョーヒップスターズクラブ)

 

2005年10月に立ち上がって約5年渋谷に存在し2010年12月27日に幕を閉じたブランド。

ワールドが運営していたカルチャーコンセプトショップ。

 

コンクリート打ちっぱなしで外からだと中がどうなっているのか全く分からない外見ですが、イギリスのトムディクソンがデザインした立派な建物。

 

ジャックケルアック、アレンギンズバーグ、ウィリアムバロウズをはじめとする、50年代のビートジェネレーションの既成概念を打ちこわし自分たちの道を自分たちで作り出すという姿勢やチェ・ゲバラの「自ら信じることをやり抜く」という生き方、価値観をもった多くの”ヒップスターたち”をコンセプトにしたセレクトショップでした。

 

 

全3階からなり、1階は壁一面を埋める本棚があり洋服やインテリア雑貨を販売するショップ。2階は数々のアーティストの個展などを行うギャラリースペース。3階は、リベルテというカフェが併設されていました。今では洋服、インテリア、カフェがそろった複合型ショップが増えていますが、当時はあまりなくてかなり最先端の珍しいショップでした。

 

ストーンローゼスのギタリスト ジョンスクワイヤーの個展では本人が来日して沖縄料理を一緒に食べに行ったり、国内外問わず色々な”ヒップスター”が来店しました。数々の貴重な体験が出来ました。

 

どんなイベントを行っていたか、どんな人たちが携わっていたかなどはまた後日書きたいと思います。今回は自分の覚え書き程度にまとめました。

 

今の僕の全てを形成したショップです。

いつか機会があればこのコンセプトで、この場所でこのブランドを復活させたいと願うばかりです。

ワールドにプレゼンしに行くのかな?

 

そんな日が来ることを夢見ています。

 

 

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横尾忠則の作品も飾ってあった。

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(残念ながら、TOKYO HIPSTERS CLUBは、誰にでも似合う便利なファッションではない。以下、我々が考えるT.H.Cの定義について。)


物事の表層だけを模倣し、誰かを演じ、装うことはたやすい。しかし、外見を真似てみたところで、それは何の意味も持たない。

もちろん、世に言うファッションというものの本質が「装うこと」誰かや、何かを演じてみせるという行為だと言うなら、それもいいだろう。

だが、キース・リチャードの格好をしたミュージシャン志望者たちが、ひどくみすぼらしく見えるように、他人を装うことは貧しく、寂しい。

ネイティブ・アメリカンの説話にジャンピング・マウスという鼠が出てくる。何の変哲もない集団の中で育った彼は、ある日ゴーゴーという唸りを聞く。

その正体を見つけるために旅に出た鼠は、やがて、偉大なる河の存在を知る。出会った蛙に促され、思い切り跳躍した彼は、遥か彼方の聖なる山を見た。

盲目のヴァッファローに右目を、聖なる狼に左目を与え、旅は続いて行く。いつか聖なる山の頂に達した盲目の鼠に、誰かの声が聞こえる。

「高く、高く、飛び上がるんだ、そして、下を見てみろ」その時、飛ぶことなど出来るはずのない鼠の躯は上へ上へと浮遊する。

二度と見えるはずのない眼を開くと、眼下にちっぽけな街が見える。その時、もう一度、どこからともなく、誰かの声が聞こえて来た。「お前は新しい名前を持った。お前の名は、イーグルだ」旅を続けること、すべての先入観を排除して走り続けること。

自らの見聞を深め、絶えず新しい可能性への扉を模索すること。ジャンピング・マウスの物語は、外観に対する示唆に富んでいる。

最初から、鼠がいて、狼がいて、イーグルがいるわけではない。我々は、内なる品格に相応しい外観を、いつか手に入れるのである。

最初に内面あるべし、信ずるに足る装いを身に着けたとしても、残念ながら、そのままイーグルの外観を持つことは出来ないだろう。

しかし、軽佻浮薄な時の流れに身を任せることに疑問符を抱き、いつまでも変わらない本質について考える鼠たちに、黄金の羽根を一枚、そっと差し出すことは出来るはずだ。

眼に嵌められた二つのルビーを、剣の柄に飾られたサファイアを、きゃしゃな身体を覆い尽くしていた黄金を失ってしまった時、鉛の心臓を持った灰色の塊にしか過ぎない幸福の王子は、誰よりも、美しく、幸福な輝きを放っていたに違いない。

国中の誰よりも秀でた外観とファッションを求めた王が、流行という名の詐欺師たちに囲まれ、踊らされながら、やがて、裸のまま誇らしげに街を歩き回る物語は、そのまま、装い=ファッションの本質を言い当てている。

「王様は、裸だよ」、そう認識し、叫ぶことができたのは、風と遊び、太陽を友とする、天真爛漫な子供たちだけだった。

着飾れば着飾るほど、裸の王様になって行くジレンマの中、もう一度、自分自身の内面について、しばし考えてもらいたい。

変わり続ける軽佻浮薄な流れに身を任せることなく、いつまでも変わらない普遍的なものの価値に真価を見出すこと。

その時はじめて、日本の「洋」服は、西洋という拡張子を逃れ、自由な身と心を包む、尊厳に満ちた輝きを放ち始めるはずだ。

千枚の羽根を身に付けたところで、鼠はイーグルにはならない。しかし、千の眼を持ち、自らの尺度と生きる叡智を手に入れた時、いつかちっぽけな鼠は、イーグルの外観を持つだろう。

 

ジャンピング・マウスの説話を、

幸福の王子の鉛の心臓を、

ジャック・ケルアックの旅の続きを、

チェ・ゲバラを、

ジャン・ミシェル・バスケアを、

アレン・ギンズバーグを、

ウィリアム・バロウズを、

「路上」をポケットに入れたジャニスを、

ボブ・マーレーを、

ジミー・クリフを、

ジョン・レノンを…。

 

彼ら大いなる精神たちの旅路に自らの旅を重ねる時、人は心の中に、黄金色に輝くイーグルの羽を見つけるはずだ。

跳躍への勇気を鼓舞することはたやすい、箴言は路上に転がっている。しかし、袖を通した一枚の服がどう見えるか、何を語るのか。

その一点はすべて、あなた自身の内面に委ねられている。「どう着こなすかではなく、どう生きるか、である。服はいつも、人の生き方に従い、ついてくるだろう。」

 

 

 

for the young and the young-at-heart

若者と若い心を持った人に!

 

 

 

 

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